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新メニュの製作

初めての料理を作ろう、と決めた瞬間。
何を参考にきめるのでしょうか。
フランスのプロにも人気の、クイジーヌアクチュールという2週間に一度の料理本。
フランス料理現代、というマガジンの出番が多いです。
あと現地で購入する地方料理の本です。
フランスにはフナク、という本屋のチェーンがあります。
そこの案内で聞くと、どんな料理のどの地方まで案内してくれます。
具体的な調理の開始です。 
レシピを最低20回は読む事にしています。
すると、見えてきます。何が?味が現実化します。
火の前に立つときは、レシピはもうありません。
見ながら作れる訳がありません。
調理は第一にスピード。
第二に完結までの緊張。
味見は2回まで、最悪3回で記憶します。
20回の判読の後、完成予想図を描きます。
これまで何百のメニュを制作したことでしょう。
やはり、好きな地方、プロバンスやブルターニュの味に今も誘惑されます。
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by lautrec2kagoshima | 2009-09-23 17:23

牛肉考察

食肉牛5000頭を飼育するオーナー。
定期的に農場を訪問する獣医博士。
北の大学で講義する教授グループと深夜まで牛肉について話しました。
牧場主の販売先はすべて東京と関西の高級料亭です。
4,5センチのフィレ、3センチのサーロイン。
見るだけで、触るだけでそのレベルの高さが分かります。
獣医博士の訪問する理由は、栄養面、管理から健康までの全工程です。
良質の肉を完成させるか。
学術的な方向からも十分に検討しているようです。
40歳を過ぎたばかりのオーナーの情熱に打たれます。
兎に角、いい肉を分かる人に、が生きがいらしいです。
何も特に語らないのが素敵です。
その目を見るだけで十分です。
そして教授以上に勉強してる日常は、その労働時間で分かります。
昨夜は午前に近い時間、今朝は5時から仕事。
肉の味をボルドーワインで制作しました。
4本のボルドーシャトウ物を開けながら、それに見合う赤をソースに。
煮詰める事30分、だんだんとボルドーが煮詰まります。
肉をソテする時期を見て食べ始めました。
これが肉なんです、とオーナー。
言葉を失いました。
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by lautrec2kagoshima | 2009-09-22 10:29

俳句のシチリアーノ

シチリアの首都、パレルモの旧市街、バローロ市場のカフェ。
夕方、カプチーノ飲んでると、突然、男の人が口を開いた。
フルイケヤ、カワズトビコム、ミズノオト。
何?
古池や、蛙飛びこむ水の音。
なんだ?
50歳くらいのイタリア男性です。
私、独学、日本語でーす。1年してまーす。
何やら小さな日本語の本を見せます。
イタリアスキデスカ。
何しにここいますか?
片言での日本語で盛り上がります。
帰国後、手紙がきました。
最初の、様から始まる宛名の名前に笑いました。
イタリアまたきてください。
単純細胞の私です。行きます、と返事しました。
1500円でCD付きのイタリア語の本を買いました。
以来、毎朝毎朝、1年間聞流しの私です。
まだ現実に一度も使う機会はありません。
いよいよナポリ行きの朝が来ました。
この張り切りよう、アリタリア航空で飛びました。
イタリア人乗務員に使いたくて。
お飲み物や要件はすべてイタリア語で試みました。
通じるのが不思議でした。
ナポリからジョバンニに電話もかけました。イタリア語です。
ナポリからゲーテよろしく船でシチリアに向かいました。
迎えに来て、との電話が果たして理解してもらえたか。
12時間の地中海の船旅の後、朝7時に港に到着。
出迎えの人が大勢、まるでゴッドファザーの映画です。
いませんでした。
仕方なく歩いてバールでカプチーノ。
彼の勤務先、パレルモ市民病院までてくてく。
でかい病院です。イタリア語で彼の名前を何度聞いたことか。
途中、終末患者病棟に紛れ込んだり。
呼吸器科の先生の彼は本日休診。
何?もう疲労の限界です。
とりあえず、市内にバスで向かいました。
イタリア語はローマ字読みですから、覚えやすい感じでした。
さてまたあの市場へ行こうか。
おや?向こうから歩いてくるのは、ジョバンニだ。
奇跡、シチリア物語の始まりでした。
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by lautrec2kagoshima | 2009-09-17 17:30

パリの朝、到着

シャルルドゴール空港からベトナム人のタクシーで市内に向かいました。
初めて現地で使うフランス語です。
常套句なので丸暗記が助かります。
しかし、返答はできませんでした。
ほとんどの日本人はフランスレストランを紹介する業者に数百万支払ます。
フランス人もお金目的なのです。
私の友人もその手で渡仏した者が多いです。
私?
自分の足で自分が満足できる厨房を探そうと決めていました。
パリに着いて、2カ月間、歩き歩きの毎日でした。
パトロンがその語学じゃだめだ、とか今人手はあるとか。
さすがに諦めムードです。
午後3時頃がランチの終わる時間です。
自分でドアを叩いてお願いする訳です。
そのあたりのフランス語だけは自信がつきます。
ようやくマドレーヌ寺院そばで拾われました。
嬉しくて走りだした事を記憶しています。
このままでは帰れません。
次の朝の6時においで、とシェフ。
賃金は無し、飯だけ、の厳しい条件です。
あいさつは大丈夫でした。
肉何グラム、バター焦がして、ソース温めて、デザート用意して。。
なんとなく聴き取れるのですが、正解は分かりません。
クロワッサン600個を焦がしてかなり叱られた朝。
エクレアの数を間違えた午後。
ソニー、配達できないよ、これじゃ。
ランチは豪華でした。ウサギ食べたり,かもを食べたり。
朝はカフェオレをどんぶりで焼き立てのパンと。
パン職人は午前3時から仕事です。
パリの朝の厨房はパンの香りで満たされます。
誰より早く厨房に入りました。
ゴミも私が出しました。地下から上に運び出すのは力仕事でした。
冷夏10度の冬の朝、厨房は冷凍庫でした。
仕事のフランス語はどうにかできるように。
しかし、雑談はなかなかでした。
最後の朝、シェフにレシピを見せると、感激した様子です。
厨房の階段をのぼるのも最後です。
クリシー界隈はもう夜中でした。
周りの仲間達が、ソニーの賃金はどれくらい?と尋ねます。
ゼロだよ。え?本当?誰も信じない場面でした。
今でも一億円の財産です。
楽しくて苦しくて、帰りたくて、帰れなくて、の経験でした。
仕事フランス語は命でした。
覚えなくては許されない道具でした。
一人だけ遅れる訳にいきませんでした。
次はイタリア語と対決、の巻です。
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by lautrec2kagoshima | 2009-09-15 21:12

パリへ逃避行する前に

確か大学時代、フランス語を学んだはず、の不確かな記憶。
フランスは誰も英語など話せないよ、と脅す仲間。
簡単にフランス語は出来ないよ、と言う者。
諦める訳にもいかずに、フランス語英語の1級を持つ友人に紹介をされた。
ウーレック、というソルボンヌから一ツ橋に留学してるフランス人でした。
30分で5千円の授業料です。
日本語も英語もダメなフランス人です。
こちらはフランス語がだめな日本人です。
会話不可能な先生と生徒です。
どうしよう、30分の後は支払です。
会話がないので、すし屋に連れていきました。
日本通なのか、ガンガンくうのです。
高級すし屋で支払は軽く授業料の3倍です。
どうしよう。
そこで初めて思いついた事がありました。
そうだ、自分で独学しよう。
NHKのラジオ講座の本を買い、録音して朝から晩まで厨房で聞きました。
仲間達の理解もあり、少しだけ話せるようになりました。
すると、先生も楽しいのか、授業料を頂くのが嬉しそうです。
福沢諭吉曰く、語学にはお金を使え。
理由は簡単、元を取りたくなるからだ、と。
テープを繰り返し繰り返し、の毎日です。
落ちこぼれの人生で初めての自信が湧きました。
頭脳明晰な人には分からない喜びです。
さて、いよいよパリに登場です。
何とかかんとか、フランス語の少しの語彙を持参です。
果たして使えたでしょうか。
はたまた、落ちこぼれに戻るのか。
わくわくして成田からパリへ飛来しました。
なんせ30歳を超えてからの学習です。
高校も落ちこぼれだし、また赤点か、と思いながら、南回りのシンガポール航空に。
次回をお楽しみに。
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by lautrec2kagoshima | 2009-09-14 21:33

外国で働くこと

何が一番きついか、というと、言葉です。
毎日毎日、仲間と雑談を含めて話さないといけないからです。
仕事は覚えても、会話がないと、限界です。
ロンドンでは日本語を使う機会はゼロでした。
朝から晩まで英語の捕虜です。
話せないと生きていけない環境です。
第2に仲間との食事です。
パンと西洋の調理です。
いかに味噌と醤油が遺伝子として組み込まれていたのか、わかります。
時々、インスタントラーメンを持参しました。
朝から夜まで外国人と英語の時間。
慣れるものではありません。
家路に着くころ、自問したものでした。
どうしてここに来たのだろうか。
自分の意志できたものの、帰郷の思いは募ります。
当時のノートの記録です。
東京の住まいの周辺を地図で書いたり、食べたいご飯のおかずを絵にかいたり。
帰りたい、帰りたい、この気持ちは仕事の後に必ず私を襲いました。
しかし英語の苦労はやがて思わぬところで役立ちました。
英国車との付き合いの中で、現在もつながる英国人との交流です。
1936年式のMGを英国南部の冬、ドーバー海峡沿いを運転した時間。
クラブで演説した時間。
仕事はフランスの文化でしたが、趣味は英国が今でも健在です。
もい一度、外国で仕事する希望はあります。
カンボジアで英語の教師の仕事はすでに確約済みです。
最後まで英語と切り離せない人生になりそうです。
案外、ロンドンのギャルソン経験が生きているのでしょう。
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by lautrec2kagoshima | 2009-09-13 08:44
ロンドンの中心、チャリングクロス駅前のトラトリアで採用されました。
最初は相変わらず皿洗いです。
パキスタン人の男と2人です。
今でも切なくなるその男は子ども3人置いての出稼ぎでした。
もう5年くらい帰郷してないそうです。
どこに住んでるの?
ここだよ。ここ。レストランの倉庫暮らしでした。
何時も汚れた服を着てるので、私のセーターをさし上げた事も。
そいつの英語が抜群に適当で過去形も現在も未来も同じなのです。
それでいて英国人のマネージャーとワイワイ、いつまでも話せるから不思議です。
以来、日常の言葉は単なる手段だ、と悟りました。
明日から給仕として仕事してくれ。
いいか、注文を間違えないように。
ワインの種類、グラスか、ハーフか、フルサイズか。
早口英国人を聞き取るのが精いっぱいです。
今でも言えるその当時のmenu.
嬉しい事にお客様がチップをくださるのです。
50ペンスで帰りにハンバーガーをよく食べていました。
皿洗いはあまり責任はないが、給仕は神経を使いました。
パリの有名なカフェ、ドマゴに日本人男性が初めて採用されたニュースは鮮明です。
私と同じA学院の仏文出の人です。
 あまりに世界が違うのですが、その緊張は同じでしょうか。
1972年のロンドンでギャルソンしてた時代の話です。                         
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by lautrec2kagoshima | 2009-09-11 14:23

皿洗い事始め

料理界で初めて働いた場所はロンドンでした。
ボンドストリートの小道、スワロー街の日本料理店でした。
当時、欧州にはまだまだ日本料理店は少なく、現地人にも珍奇に映りました。
そう、学生さんね、あすの夜6時に来てよ。
12時で終わりだし、ナイトバスで帰れるから大丈夫だよ。
ご飯もつけてやるからさ。
すぐに皿洗いの仕事がはじまりました。
日本料理の皿の型があまりに多くて、しまう場所に戸惑いました。
ご飯は味噌汁にたくあん、そんなものでした。
しかし問題が発生です。
12時が過ぎても帰れないのです。
全員が終わらないと帰れない、まさに日本の組織でした。
賃金は12時までしか出ないし、バスは無くなるし。
マネージャーがアールスコートまで毎晩、送ってくれるのですが、同居人の機嫌は最悪です。
午前2時が普通
でした。
そのあと、フランス料理店に移りました。
朝は私一人です。配達されたミルクや肉、野菜を厨房に運ぶ事からスタートです。
フランス人のマダムが来て、フランス語であいさつしてくれます。
待遇は比較できないほどでした。
西洋社会の成熟、日本社会の村的悲劇。
仲間に中華で働く慶応の学生がいました。
最悪だよ、中国人、油の付いた鍋ばかり洗わされるんだよ。
スペインレストランの皿あらいも仲間でした。
大阪生まれの彼は天性の明るさです。

ロンドンからニューヨークに渡り、その後、メキシコへ
メキシコでマルタ、という娘と知り合い、酒場で演歌歌手に。
私が帰国して10年目の大阪の阪神デパートで偶然にも、彼と再会。
その後の話を彼の家で聞かされました。
現在はメキシコで演歌歌手です。
荒野を目指したロンドンの5,6人の仲間達。
一人はカナダで芝生の会社経営。
一人はフィンランド人と結婚して現地に。
一人はシカゴ大学に。
日本に暮らすのは私のみです。
全員、ロンドンの皿洗いの仲間達です。
現地で生存する唯一の手段でした。
やがて英語も覚えて、皿洗いも卒業です。
次回はイタリアレストランで給仕で働く物語です。
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by lautrec2kagoshima | 2009-09-10 17:43

職業観。

何故、人はその仕事に巡り合うのでしょう。
本当にしたい仕事をするのが一番な事は自明の理です。
私の場合。
少年時代にすでに外国で生きる夢は具体的でした。
組織に属さない生き方はすでに高校時代に決心してました。
組織に属して、人に合わせてのんびり人生、特に公務員的ぬるま湯にはつからないと。
じゃ、一人で何ができるだろうか。
父親の公務員姿を見てたので、反発も手伝い、自分を試す仕事に就きたいと考えていました。
10本の指で何か、を作り出したい。
指の力はすごいものです。
19歳で一人寒いロンドンへ向かいました。
目的、知り合い、夢無しの荒野を目指す若者でした。
具体的にはボンドストリートのフランスレストランの地下の厨房の雰囲気です。
いいにおい、未知の味、完成する楽しみ、最後の疲労感の心地よさ。
以来、今日まで生きて、好きな外国も家数軒分の財を使い、いい友人にも出会いました。
好きな時に好きな外国に出かけ、ある程度、思うがままのライフスタイルです。
さて、ここからもう一段の階段です。
今、世界との関わり合いを大きく変えようと、検討中です。
これまでの旅や異国生活への恩返しを考えています。
膨大な旅の記録を読むと、最後の形は貢献に行きつきます。
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by lautrec2kagoshima | 2009-09-08 08:04

コペンハーゲンの牛丼

美味しい牛丼店があります、とデンマーク人。
ドイツでじゃがいもしてた身には、ごくり、のごちそうです。
町はずれの片隅に佇む牛丼店でした。
日本人の書いた文字じゃなく、外国人特有の筆でした。
イラシャマセ、と片言の日本語です。
デンマーク人が料理人です。
え?どうして?
とりあえず注文しました。
牛丼しかメニュはありません。
白い皿に牛と玉ねぎらしいものが盛りつけてあります。
食べると、おいしいのですが、美味しくないのです。
見た目は牛丼、味は米と牛のしょうゆ味です。
この主人、若い頃、日本料理店で働いてたそうな。
唯一、記憶してたのが牛丼だそうな。
ドイツ人の握る寿司は熱い米とらしい。
オランダ人の餃子はなんだかパイらしい。
英国で食べたかつ丼は中華の味がした。
日本のフランス料理は本店の味じゃないのと同じでしょう。
ポーランドのパスタはうどんでした。
食べ物が輸出されると、その国独特の展開をします。
私はその点、フランスを受け継いでいるつもりです。
いつか、ベトナムでフランス料理を食べる予定です。
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by lautrec2kagoshima | 2009-09-06 20:32

私達夫婦が経営する南仏・地中海料理のお店「LAUTREC(ロートレック)」の毎日の様子を綴ります。


by lautrec2kagoshima