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フジタの生きた1920年代のパリ

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100年前のモンパルナス。
フジタは1913年にパリに着いた。
ベルエポックと呼ばれる自由な芸術が開花したパリ。
アメリカからはドルの強みで大勢のアーチストがやって来た。
モンマルトルから移動した彼ら。
カフェロトンド、ドーム、リップ。
シェイクスピア書店にはヘミングウェイやフィツジェラルドがやって来た。
私もたまにその書店に立ち寄る。
英語本だけが販売されてる。
その当時フジタの絵だけが売れた。
日本人で唯一のプロ画家だった。
ロトンドにはモリジアーニが酔いつぶれて寝ていた。
彼は若くて命を落とす。翌日、恋人も投身自殺する。
アバンギャルドで無政府な彼らが歩いた道を私も歩いてみる。
ロトンドには彼らの作品のコピーが張られている。
1945年以降、芸術はパリを離れてニューヨークに渡る。
何しろ資金がけた違いのアメリカだ。
フジタは帰国。
そのあとパリに戻るが時代はすでに終焉を迎えてた。
ヘミングウェイの移動祝祭日。
若い頃をパリに過ごしたものはそれを永遠に引きずる、
なぜならパリは毎日がお祭りだからだ。
私もその時代をパリで過ごした。
だからロンドン、東京に住んでも私の故郷はパリだ。
フジタの気持ちが痛いように分かる。
何しろパリは自由だ。
全ての価値観が認知される点で日本とはけた違いだ。
だから自由な発想が飛びさせる環境にあるんだ。
何気に生きるんじゃなくて、真剣に生きる場所。
それがパリだ。
びしょ濡れの靴から雨が侵入。
傘無の朝、モンマルトルの坂を駆けあがる。
ユトリロの墓の前を走り去る私。
不安定な気持ちでレストランに潜り込む。
通じないフランス語に神経が飛び出す。カフェロトンドで、ルイビトンの秘書とカフェする。2017年2月。


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帰ろう、とは思わない。
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何かを捕まえたい、何かを身に着けたい。
馬鹿な若者は100年前からいたんだと思う。
モンパルナスは私の最近の遊び場。
かつてフジタが歩いた同じ道を歩く。
サンジャック通りはローマ時代からの道だ。
全ての道はローマに通ず。
パリのフジタを想像しながら次回はロトンドでカフェしよう。

by lautrec2kagoshima | 2019-02-02 22:00

私達夫婦が経営する南仏・地中海料理のお店「LAUTREC(ロートレック)」の毎日の様子を綴ります。


by lautrec2kagoshima
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