2018年の私

今年は特に奇蹟の連続だった。
2月のフランス。初めての自転車の旅。
ブルターニュの北風の中、古い自転車をこいだ。
小さな海辺のホテルから海が見える。
ジャンコクトーが描いた戯曲を思い出す。
南フランスの港町、Ville Franche sur la mer.
2度も通い詰めた港町。
ある午後、港の風景を絵にした。
帰国した夜、ある方のお母様の死を知った。
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私が今年出会った中でも最優先のお一人だったからだ。
その1週間前、ブルターニュのカテドラルで葬儀に参加したばかり。
内なる哀しみの増長にしばし沈んでしまった。
最愛の人を亡くした人はそれでも強く生きようとしてる風だった。
強く生きることしか供養にならないの。
私が生きて学んだ至上の言葉だった。
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渡仏1日前の午後。
私の未来を現実化する出来事が起こる。
東京での第2の仕事の要請だった。
数時間後、私はパリ便に搭乗してた。
頭はフランスどころか、どんな風に仕事を進めようか。
私の後ろを押してくれた人がいたから、勇気が湧いて来た。
2018年は2人の女性の登場が私の演出家の役割をしてくれた。
後ろは向かない。
2人の方へのお礼は生きる意志で示したい、と思う。

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# by lautrec2kagoshima | 2018-12-10 17:09

異質な時間

つい24時間前は日本橋で料理してた。
今、地元鹿児島で料理してる。
時間差での仕事。
その内容は異なれど、基本は同じだ。
最後の師走になろうとしてる今。
懐かしんでいる暇はない。
今年2月のフランスから私の未来は変化し始めてきた。
先週、ここで見習いしてたJさんから電話が来た。
故郷を離れて20年の歳月だ。
苦労して覚えたフランス語と料理。
小柄な体で、生き抜いた異国。
対して体も強くないJさんの前向きな生き方。
ある冬。
彼女に久しぶりに会った。懐かしい笑顔で駆け寄ってきた。
深夜2人でセーヌ川を歩いた。
見習い時代の事からフランス社会に溶け込む事の困難さ。
元来陽気な彼女は少しだけやつれていたが、前向きに生きてた。
いっそ、連れて帰りたい気も有った。
私の勧めでフランスに渡ったからだ。
でも子供も成長し、このままフランスにいきていくだろう。
人の運命は誰も予想できない不思議を秘めてる。
今はパリを離れベルギーに近い小さな町に住んでる。
田舎の普通のOLが世界へ飛び出したのは私の強い影響だった。
世間を知らない、恋すら知らない田舎娘が今やフランスに生きる。
ロートレックを駆け抜けた一番印象の深い人になった。

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# by lautrec2kagoshima | 2018-12-05 22:00
まさか最後のクリスマスになろうとは。
全ての事に終りがあるように、ロートレックにも終りが来る。
33回目のクリスマス。
クリスマスを最後に味わったのはパリ15区のマリーのアパルトマンだった。
仲間たちとプレゼント交換した記憶が。
あれからお客様のために自分のクリスマスをプレゼントしたものだ。
聖夜のレストランは1年で一番に輝く。
キャンドルの下で味わうフランスの定番、エスカルゴやコンフィ。
12月は朝から深夜まで働いた。
いざそれから解放されるのか、と思うといかにも寂しい気持ち。
パリ時代の記憶を初めて他者に話した。
レストラン探しに2か月。
暑い夏のパリを隅々まで歩いた。
偶然と奇蹟が私を取り囲んだ。
慣れない仏語、慣れない環境。
仕事中はいいとして、みんなで飯時間はきつかった。
日常会話がほとんど出来ない頃だった。
クリスマスの夜。
仕事を終えて、サンラザール駅からメトロでブージラール駅へ。
シェフからもらった洋ナシのブッシュドノエル。
それを抱えてマリーの自宅に向かった。
それをこの季節になると思い出す。
最後のクリスマスだ。
後ろは振り向かない。
前だけ見て歩こう。


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# by lautrec2kagoshima | 2018-11-27 17:17

2018年の記憶

記憶は日常レベルではほとんど消えていくもの。
余程強烈な衝撃的な出来事がないと記憶には残らない。
と思っていても。
パリ行きの機内で偶然出会った仏人女性。
帰りの機内でも偶然隣の席。
これは永遠の記憶だ。
じゃ、自転車で冬のブルターニュを旅した朝の事。
漁村の小さなカフェに立ち寄る。
マダムがカフェをサービスすると、彼女の後を子犬がついてくる。

帰りにマダムに下手なフランス語でこういう。
この可愛い犬君にチップです。
当犬は訳が分からない様子。
これは忘れられない記憶。
また新鮮な出会いも在った。
後年お世話になる女医さん。
英語を起点に世界をお話ししてくださる女性。
いずれも共通するのは美人。
フランスでは才能豊かな料理人。
2018年は私にとり新しい出会いから始まった。
基盤になり、そこから連続で飛翔する段階も近い。
東京時代のピアニストとライブもした。
憧れのフェルメールにも出会えた。
懐かしの麻布、神楽坂も歩いた。
残りの2018.
悔いなき仕事をしよう。

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# by lautrec2kagoshima | 2018-11-22 15:57

偶然と必然の間に

人は言う。
それは偶然だった、と。
あるいはその偶然はやって来る約束だったのか。
するとそれは必然と言えるのだが。
私とその人はちょうど20歳の時英国に暮らしてた。
年代は異なるが、間違いなく20歳の時は英国に生きてたのだ。
これは偶然の範囲だろう。
やがてそれぞれに英国を離れて違う道を歩いてきたのだった。
それからその共通体験で英語で交流が必然に生まれた。
私がフランス語だったら成立しないはずだった。
その人は正式に英語を現地で学んだ経歴。 
私?まるで非公式な英語で、ロンドンの下町でバイト中に覚えた。
お互いに日常の関心事を話すには不便はないのがいい。
最近はその人とFM番組で朝6時からの古楽の楽しみ、を拝聴してる。
古楽はマイナーな分野だけど、時代背景は欧州中世から近世にかけて。
特にベルサイユの貴族が聴いてた音楽には関心が高い私。
クープランの音楽は私をルイ王朝時代に戻してくれる。 
目に見えない想像の世界ほど面白いものはない。
その人は若いからこそ、文化文明を知りたいのだろう。
偶然出会った人が必然的に2人乗りの英国車でケンジントンロードを走り出す。
日本人だが、英語がふさわしい。
ロンドン時代、私は日本人達と英語で話してたのを思い出す。
若い感性は使いようでは素晴らしい才能が飛び出すものだ。
それを引き出すロープになれば私も愉快だ。



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# by lautrec2kagoshima | 2018-11-15 17:40

偶然と必然の間に

人は言う。
それは偶然だった、と。
あるいはその偶然はやって来る約束だったのか。
するとそれは必然と言えるのだが。
私とその人はちょうど20歳の時英国に暮らしてた。
年代は異なるが、間違いなく20歳の時は英国に生きてたのだ。
これは偶然の範囲だろう。
やがてそれぞれに英国を離れて違う道を歩いてきたのだった。
それからその共通体験で英語で交流が必然に生まれた。
私がフランス語だったら成立しないはずだった。
その人は正式に英語を現地で学んだ経歴。 
私?まるで非公式な英語で、ロンドンの下町でバイト中に覚えた。
お互いに日常の関心事を話すには不便はないのがいい。
最近はその人とFM番組で朝6時からの古楽の楽しみ、を拝聴してる。
古楽はマイナーな分野だけど、時代背景は欧州中世から近世にかけて。
特にベルサイユの貴族が聴いてた音楽には関心が高い私。
クープランの音楽は私をルイ王朝時代に戻してくれる。 
目に見えない想像の世界ほど面白いものはない。
その人は若いからこそ、文化文明を知りたいのだろう。
偶然出会った人が必然的に2人乗りの英国車でケンジントンロードを走り出す。
日本人だが、英語がふさわしい。
ロンドン時代、私は日本人達と英語で話してたのを思い出す。
若い感性は使いようでは素晴らしい才能が飛び出すものだ。
それを引き出すロープになれば私も愉快だ。



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# by lautrec2kagoshima | 2018-11-15 17:39

卒園式

やがてロートレックにも卒園がやって来る。
自営は自分で卒園を決めるしかない。
今の所、単位は専門課程は良。
外国語はまだ不可?
ここを卒園または中途退園した子供たちは約8名。
男達はだめだったね。
2人の女児は頑張った。
2人ともフランスに渡る。
一人は陽気な園児。
背が足りなくてオーブンに手が届かず、ふみ台を作る。
それでもやけどをしてた。
一人は無口、というか黙々と仕事をこなした。
一人はフランスで生きていった。
一人は帰国した。
朝から深夜に及ぶ仕事。
教えてください。ごはんだけでいいです。お金はいりませんから。
2人とも実に私を支えてくれた。
今でも2人の書きなぐったフランス語のレシピがここにある。
卒園式に2人を呼びたい。
そして改めてお礼を言いたい。
君たちがいて私が生きてきたから。
失敗して泣いてたね。
悔し涙が2人を成長させたんだよ。
一人はフランスで生き延びた。
普通の田舎のOLが大変身してフランスへ渡った。
たまにパリで再会した時、フランス語が上手くなってた。
朝、ここでみんなでフランス語を学んだ時代は遠い。
卒園式。
みんなでまたお庭でランチしたい。
卒園式の引き出物はここの調理道具を何でもあげるから。
私はパリ時代のレシピだけを持ち帰る。
他には何も要らない。
そして最後に卒園生達と記念写真だ。
別れは辛いけど、これは新しい門出だ。
いつ卒園式か?

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# by lautrec2kagoshima | 2018-11-13 22:00

影響を受ける事

生きてる途中に、偶然出会う事。
自分の方向を示唆してくれた人がいる。
私の場合は高校の国語教師だ。
20歳でロンドンの安アパートに住んでた。
手紙でロンドン事情を毎月送った。
それを先生がクラスで読んでくれてた。
当時、欧州に渡る事はニュースにまでなった時代。
やはり、直接の出会いでしか運命は起こらない。
こんな私に影響を受けた人もいるかもしれない。
自転車に乗り出した人。
万年筆で手紙を書きだした人。
フランス語を始めた人。
ジャズを聴きだした人。
西洋絵画に開眼した人。
ピアノを始めた人。
影響はその人の運命を左右するほどの激震が走る。
それをどこまで追いかけるか。
追いかけても限界はないからこそ面白い。
ロンドンに暮らしてた時代、アールスコートにスポーツカーの店があった。
当時は、ただ眺めるだけ。いつか欲しい。。。
15年後、英国製スポーツカーを手に入れた。
英国に通い、クラブで遊んだ。
寒い冬、1936年製MGTAブライトンの海を走った。
英国車からも影響を受けた。
私に影響を受けた人。
反対にその人から私は影響を受けた。
何を?
そのやわらかい感性を。
影響は2人の間の秘密の交信に近い。

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# by lautrec2kagoshima | 2018-11-12 13:28

外国からの手紙

机の中やトランクを整理してみた。
チュニジア、英国、フランス、イタリア、韓国、アメリカ ETC
実に多国籍からの手紙の山だ。
その中には若い頃、イタリアの田舎で出会ったイタリア娘からの手紙も。
ミラノの高校生だった。
一日だけ過ごした思い出が。
エーゲ海で出会ったアイルランドの娘もいた。
美大の学生で私に似顔絵を描いてくれた。
チュニスで9歳の子供と遊んだ。
手紙が来てその中にチューインガムが同封されていた。
韓国からは機内で出会ったビジネスマンからの招待。
エーゲ海で英国人女性のヌードを撮影した。
それは楽しい思い出。
しかし東京に戻り、その方から、日本に来たい、との希望が。
とんでもない話に返事しなかったけど。 
しかし今でも大切な要件はすべて手書きの手紙で私は気持ちを伝えてる。
外国だけでなく日本も同じだ。
万年筆と便箋はいつも机の上に常備だ。
外国からは確実に返信がある。
日本ではほとんどない。
基本的にメールには嫌悪してる。
単なる通信ならOK.
気持ちを伝えるには手書きだ。特に愛する人には。
さて数百の外国からの手紙のどれを処分するか。
一枚一枚読み返そう。
そして当時を思い出そう。
手紙文化は残したい。

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# by lautrec2kagoshima | 2018-11-12 10:33

フェルメール展

毎月の東京行き。
今回は長い間夢見てたフェルメール9点を一堂に鑑賞。
近い内にオランダのハーグまでついでに行く予定だった。
昨年はルーブルでフェルメール展を開催していた。
その余りの行列に引き返したほど。
上野公園の秋。
不忍の池を散歩する。
予約でしか入館できないほどの人気だ。
どの作品を見ても自分の神経細胞まで到達する絵。
17世紀の風俗絵画だが、一枚一枚から伝わる伝言を解釈する楽しみがある。
ミルクを注ぐ女。
アムステルダム美術館所蔵だ。
一度は訪問した美術館だが、若かったせいか、印象は薄かった。
色彩、構図、光の方向、女の視線。
これが小さな画面に縮図となる。
私の目線はとらえようのない視線となり、フェルメールとの会話になる。
またリュートを弾く女性、手紙を書く女性、それを読む女性。
それぞれの絵画が独自の光線を放つ。
これまで欧州で美術館を数多く回ったが、今回のフェルメール。
これまでで最大の印象と衝突した。
私の中の永遠の画像になった。

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# by lautrec2kagoshima | 2018-11-09 17:49

私達夫婦が経営する南仏・地中海料理のお店「LAUTREC(ロートレック)」の毎日の様子を綴ります。


by lautrec2kagoshima